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発掘調査

折戸(O)-110号窯跡の発掘調査

 窯業地として全国的にも著名な「瀬戸窯」の所在する愛知県瀬戸市において現在までに分かっている最古の窯は、10世紀後半(平安時代中ごろ)の築窯とされています。しかし、それより500年以上も前の5世紀前半(古墳時代中期)に、瀬戸窯の南側に広がる尾張東部丘陵において窯業が成立しました。これが猿投山西南麓古窯跡群(通称「猿投窯」)です。猿投窯は、東海地方における窯業の先がけであり、リーダー的な存在でもありました。 猿投窯の範囲は、西が名古屋市千種区・天白区、南が大府市・刈谷市、東がみよし市・豊田市、北が長久手市に及びます。そして、今回発掘調査を行った折戸(O)-110号窯跡は、猿投窯の中の地区割りで「折戸地区」と呼ばれる日進市南東部に位置するエリアに属しています。日進市米野木町南山に所在し、みよし市との市境にあって、両市にまたがって存在する遺跡であろうと想定されていました。
 発掘調査は、平成23年7月5日から平成23年8月9日までの約1か月間行いました。調査の目的は、道路の拡幅工事に伴う事前調査です。そのため、調査の対象となったのは、拡幅される7m幅の道路部分に限られました。また、調査区の長さは、日進市教育委員会による試掘調査の結果を踏まえて32mとし、発掘調査対象面積は約230㎡となりました。
 発掘調査の結果、調査区のほとんどで遺物を含んだ土層が堆積していました。窯跡においてこのような堆積層がみつかると、窯焼きに失敗した製品や薪を焚いて出る灰・炭・焼土などを捨てた場所(「灰原」と呼んでいます)と判断します。しかし、ここでは、一部を除き灰や炭をほとんど含まない土層が堆積していました。これらは灰原そのものではなく、灰原の一部が流れ落ちた二次的な堆積層と考えられます。つまり、調査地点は、窯炉からはかなり斜面を下った窯跡の末端部分に相当します。現在の地形を見る限り、窯炉はすでに滅失しているものと思われます。
 出土した遺物の総数は、収納コンテナで40箱になります。そのほとんどが「須恵器」です。須恵器は、窯焼きの技術が日本に伝わった当初から焼かれていた、国産としては最古の陶器です。器種は、杯(蓋付きの食物を盛る器)・碗・盤(大きめの皿)・高盤(長い脚を持った盤)などの食器類、壺・瓶・甕などの貯蔵器が主体で、特に瓶類にバラエティがあり、中でも長頸瓶が目立っています。これらの形や作り方から、窯が操業していた年代は、8世紀後半~9世紀初頭(奈良時代末~平安時代初頭)と推定されます。