■瀬戸染付年表   About Seto Sometsuke  


1335〜1367
(至元・至正年間)
中国元朝において染付の製法が確立。
1369(洪武2年) 中国明朝、朝廷用祭器に磁器を用いることを勅令。
1427(応永34年) 日本の文献に初めて『茶碗染付」の語が表れる。
1615〜1624
(元和年間)
肥前有田で李参平が日本最初の染付磁器を試作。
1712(正徳2年) 肥後天草で良質の磁器石・天草陶石発見。 肥後天草で良質の磁器石・天草陶石発見。
1781〜1789
(天明年間)
品野の窯屋、加藤粂八が肥前から逃亡してきた磁工久米勇七(副島勇七・加々良勇七とも伝えられる)に従い、磁器・上絵付の製法を習得。
1789(寛政元年) 加藤粂八と北新谷の窯屋・六代加藤忠治が共同で磁器を試造。
1801(享和元年) 加藤吉左衛門・民吉親子が熱田奉行津金文左衛門の指導の下、磁器を試造。
津金文左衛門が熱田古堤に染付焼窯を築窯。 加藤唐左衛門が熱田古堤の窯を廃止を嘆願。瀬戸にて新製染付焼開始。
尾張藩が瀬戸窯屋の嫡子のみに限った相続を磁器には適用しない旨通知。 加藤吉左衛門、六代加藤忠治ら14名が磁器に転業。
1802(享和2年) 御蔵会所設置。
1803(享和3年) 尾張藩の援助で磁器焼造用丸窯を築窯。
二代川本治兵衛が染付磁器の素地配合に成功。
染付磁器が尾張藩の蔵物に定められる。
六代加藤忠治が尾張藩に染付磁器十二俵を納める。
1804(享和4年) 加藤民吉が摂津三田窯を視察。
1804(文化元年) 加藤民吉が九州へ出立。天草、三川内にて磁器製法・丸窯などについて知識を習得。
尾張藩勘定奉行により、染付蔵物に押印される「尾張」の木印が下される。 加藤吉左衛門が本業焼併新製焼取締役に就任。
1807(文化4年) 加藤民吉が瀬戸に帰着。
1812(文化9年) 加藤唐左衛門が新製焼取締役に就任。
1814(文化11年) 加藤唐左衛門が上半田川村にて良質の千倉を発見。
1818(文政1年) 二宮守恒が加藤民吉に取材し「染付焼起源」を著す。
1826(文政9年) 加藤民吉、窯神神社に合祀。
1839(天保10年) 三代川本治兵衛が銅版染付を試造。
1845(弘化2年) 四代川本半助が染付磁器の素地・釉薬にギヤマン(珪石)を加え、品質の向上を図る。
1849(嘉永2年) 三代川本治兵衛が美濃伊岐津村にて良質の磁土・イギ土(カオリン)を発見。
1848〜1854
(嘉永年間)
三代加藤新七が名古屋川名にて銅版染付専業窯を開く。
1858(安政5年) 三井組、加藤兼助らに輸出用磁器の見本製作を依頼。この頃に赤津から蛙目粘土の産出が確認。
1861(文久元年) 名古屋川端筋の「角吉」が瀬戸にアメリカ向けのコーヒーカップ等を発注。
1863(文久3年) 再び三井組の依頼で輸出見本数種が製作される。
1867(慶應3年) 瑞穂屋清水卯三郎(東京)がパリより、酸化コバルト等陶磁器顔料を持ち帰る。
1871(明治4年) この頃、田代安吉(有田)を通じて、瀬戸に酸化コバルトがもたらされる。
この頃までに、肥前志田窯にて摺絵技法再興。
1872(明治5年) 二代加藤周兵衛が澳国博覧会出品青華製造取締役に任命される。
1873(明治6年) 愛知郡山口(現瀬戸市)にて良質の蛙目粘土発見。
1874(明治7年) 松村九助(有田・名古屋)を通じて、瀬戸に酸化コバルトの使用法がもたらされる。
輸出用コーヒー碗の生産始まる。
ウィーン万博派遣の伝習生がヨーロッパより直焔式丸窯などの技術を持ち帰る。
1875(明治8年) 加藤五助・川本桝吉らが加藤友太郎・川本富太郎より石膏型の製法を伝授される。
1883(明治16年) 加藤紋右衛門ら113人からなる瀬戸村磁工組合設立。 森村組(現ノリタケ)、川本桝吉に
コーヒーカップの見本を示しその製作を依頼。わが国最初の六人具の製作。 瀬戸陶磁工組設立。
1887(明治20年) 加藤繁十が素焼窯考案。
五十嵐健二(土岐)が白笈を使用した銅版下絵を考案。
1889(明治22年) 加藤米次郎・元次郎(多治見)が銅版下絵の特許取得。
大倉孫兵衛(東京)がゴム印絵付法を欧米から持ち帰る。
1894(明治27年) 名古屋陶磁器貿易組合設立。瀬戸陶磁工組と名古屋陶磁器貿易商組合と連合交渉会議規約を締結。
1896(明治29年) 松村八次郎(名古屋)が純白硬質磁器の特許取得。
1899(明治32年) 瀬戸陶磁器工商同業組合設立。
1902(明治35年) 黒田政憲の指導の下、瀬戸陶磁器試験場に石炭窯を築くが失敗。
松村八次郎が松村式石炭窯(倒焔両焚式一間窯)を発明。
1904(明治37年) 森村組が純白硬質磁器の量産を試みる。
1909(明治42年) 北村弥一郎の指導の下、フランス式石炭窯を築く。
名古屋陶磁器貿易商工同業組合設立。
1925(大正14年) 5月20日窯神神社が放火により全焼。
1926(大正15年) 10月21日瀬戸陶磁器工業組合(現、愛知県陶磁器工業協同組合)設立。
1927(昭和2年) 10月民吉に取材した歌舞伎「明暗縁の染付」大阪中座にて初演。
1928(昭和3年) 11月10日津金文左衛門に正五位、加藤民吉に従五位が追贈。
1932(昭和7年) 日本陶器(現、ノリタケ)ボンチャイナの製造開始。
1937(昭和12年) 9月瀬戸初の銅像として磁祖加藤民吉像が窯神山に建立。
12月8日「尾張磁器発祥の地」碑建立。
3月「津金親子頌徳碑」建立。
1958(昭和33年) 3月29日瀬戸染付着画の技術(保持者、山田良治)が愛知県指定無形文化財に認定。
1972(昭和47年) 9月4日染付磁器技術(保持者、河本礫亭)が愛知県指定無形文化財に認定。
1994(平成7年) 2月13日陶芸瀬戸染付技法(保持者、加藤靖彦氏)が瀬戸市指定無形文化財に認定。
1997(平成9年) 瀬戸染付焼が通産省指定伝統工芸品に認定。
2000(平成12年) 瀬戸市マルチメディア伝承工芸館―瀬戸染付研修所―が開設。
2007(平成19年) 経済産業省より「近代化産業遺産」に認定。