発掘調査
NN-G-48号窯の発掘調査
窯体2基(A・B窯)とそれぞれに伴う前庭部および灰原などを検出しました。窯体は、その大半が流失していましたが、燃焼室と分炎柱付近など一部の状況を確認できました。2基の窯体のうち比較的良く残っていたB窯の燃焼室は、長さ1.9m、焚口幅1.02m、最大幅1.52mの大きさです。床面の傾斜は、焚口から10°で下降し、分炎柱手前から9°で上昇しています。焼成室は、床面の一部のみ残っており、床面上には山茶碗の焼成に利用した焼台の痕跡を確認できました。また、床面の傾斜は20°で上昇しています。
前庭部は、焚口の後方に拡がる平坦面で、窯体から排出された土砂により構築され、窯の操業に伴う作業場として利用された場所です。本窯跡の場合は、この平坦面が狭く、窯体から排出された土砂は灰原に堆積していました。
灰原は、前庭部の末端から谷側へ向け拡がり、窯内から排出された炭化物や焼土のほか、焼成に失敗した製品や窯道具などを廃棄した場所で、本窯跡の場合は、最大で厚さ40㎝ほどの遺物層を確認することができました。調査区の中央付近は、土砂崩れにより谷が形成されていましたので、灰原の一部は土砂崩れにより流失したと思われます。
遺物は、窯体や前庭部・灰原から出土したもので、多くは山茶碗と呼ばれる碗とそのセットとなる小皿が中心となります。これらの他に、片口山茶碗、片口鉢、陶丸、三耳壺、壺、甕、そして窯道具類として焼台があります。山茶碗は、付高台を有し、その端部には籾殻の痕跡が認められます。小皿は糸切り未調整の平底で、体部は短く立ち上がり、底部内面中央付近には指ナデの認められるものもあります。陶丸は、手づくねで球形に成形されています。三耳壺は、肩部の三か所に耳部を有し、その両端には刻み目が施されています。壺は、口縁部を摘んで輪花状に成形しています。
本窯跡は、猿投窯の鳴海地区(鳴海支群)に分類される山茶碗焼成窯で、三耳壺や甕を併焼した特殊な生産窯炉です。本窯跡の操業は、出土遺物の形態的特徴から12世紀末から13世紀初頭に行われたと考えられます。
NN-G-48号窯全景
MM-G-48号窯B窯全景