発掘調査

若宮遺跡の発掘調査

 瀬戸市南部を西に向かって矢田川が流れています。その両岸には田畑が広がる景観を見ることができます。これは、長い年月をかけて川が運んだ土砂によって谷間が埋められ、平坦な土地が形成されたことによります。この平坦地は、耕作はもちろん、生活の場としても利用されるようになりました。若宮遺跡もそのような経緯で形成された集落遺跡と考えられます。
 若宮遺跡は、矢田川右岸に広がる平坦地のうち、最も東側にあり、東西約700m、南北450mにおよぶ広大な面積を持つ遺跡です。昭和期の土地改良工事の際に、多くの遺物が採集されていますが、調査は部分的にしか行われていないため、遺跡全体の様相はほとんどつかめていません。
 今回の発掘調査は、瀬戸市若宮町3丁目地内において、個人住宅建設工事に伴う事前調査として行われました。工事内容は、南北に2棟の建物の建設と、隣接地が水田であるため境界に擁壁を設置するというものです。事前に行った試掘調査では、北側に遺構が存在する可能性が低いとされたため、南側の建物部分とその周囲の擁壁部分を対象として平成24年4~5月に建物部分、同年9~10月に擁壁部分の発掘調査を実施しました。調査面積は、合わせて255㎡です。
 北東部で溝2条とピット4基、南東部で浅い落ち込み3基、南西部で小規模な建物の柱跡がみつかっています。また、南端中央部と西端部では、地面の堆積土層中から古墳時代初頭に位置づけられる土器がまとまって出土しました(土器溜り)。これらの土器群は、一括して投棄あるいは漂着したものと思われます。一方、溝・落ち込み・柱跡などの遺構の多くは堆積土層の上面から掘り込まれています。その時期は、出土遺物から古墳時代後半と推定されます。
 今回の調査地点は、若宮遺跡の中でもほぼ東端にあたり、矢田川の河畔とはわずかに70mほどしか離れていません。調査においても土砂の堆積土層を確認しており、旧河川の影響を多分に受けていたことが分かりました。古墳時代後半に至って遺構がみられるようになりますが、住居跡などは出ていません。このような状況からみて、この地点が生活の場であった可能性は極めて低いと思われます。

若宮遺跡の完掘状況
若宮遺跡の完掘状況

土器溜りの土器出土状況
土器溜りの土器出土状況

出土した土器
出土した土器
中央と左側が高杯、右側がヒサゴ壺