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発掘調査

大平窯跡・大平縄文遺跡の発掘調査

 両遺跡は、瀬戸市海上町(赤津区)に所在する中世の窯跡と縄文時代の遺物散布地です。海上町は、市域の南東端部(山路地域)に位置し、一帯には緑豊かな里山の自然(海上の森)が広がっています。両遺跡は、その中を流れる矢田川の支流篠田川の上流域右岸に位置し、大平窯跡は標高270~274mの南~南東向き斜面に、大平縄文遺跡は南西方向に伸びる小尾根付近に立地しています。

 遺跡周辺の丘陵には、鎌倉時代から室町時代にかけて尾張型山茶碗や、我国中世唯一の施釉陶器である古瀬戸製品を焼いた窖窯が数多くみられます。また、大平窯跡のすぐ北側にある海上遺跡では、平成元年の発掘調査で窯業生産に係わる遺構が検出されています。それは長径約5.8mの円形土坑で、中から13世紀中葉の山茶碗とともに混じり気のない粘土が出土しました。陶器の原料になり得るこの粘土は、当地域にみられる飛地状の水野砂礫相で採掘が可能であるため、この土坑は採掘した粘土の貯蔵施設であった可能性があります。一方、大平縄文遺跡はかつて縄文土器や石器が採集されたといわれますが、記録や資料は現存せず、発掘調査も行われていないため詳細は不明です。

 今回の調査は太陽光発電装置の建設工事に伴うもので、平成28年4月に確認調査と保全作業を、平成29年2月に立会調査を行いました。確認調査は計3か所のトレンチ(総面積50㎡)を設定し、遺構の遺存状況を確認しました。その結果、2か所のトレンチを設定した大平縄文遺跡では、遺構・遺物ともに確認できませんでした。一方、大平窯跡は太陽光発電装置の建設によって遺構が露出した法面の清掃・精査を行うとともに、L字形のトレンチを1か所設定しました。まず法面では、幅約13mにわたって大小5基の遺構が連なって検出されました。北端に位置するSX01は焼土面と炭層が確認されましたが、他の遺構と撹乱によって削り取られ、ごく一部しか残存していませんでした。他の4基(SX02~05)も全体の規模や形状は不明ですが、覆土に山茶碗・古瀬戸製品・焼土が含まれるため、大平窯跡に伴う遺構と考えられます。ただ、この覆土は灰層・遺物層・掘抜排土といった灰原特有の層序がみられず、出土遺物の量も少ないため、灰原そのものの堆積とは考えられません。なおSX02~04の掘り方は、地層の中の均質な白色粘土層を掘り抜いたレベルで止まっているため、上で述べた当地域の地質的特性や海上遺跡の調査知見を勘案すると、これらの遺構は、中世窯に伴う粘土採掘坑とも考えられます。他方、L字形のトレンチでは急峻な丘陵斜面が検出され、その上に最大1.9mの厚さで遺物包含層が堆積していました。遺物包含層は焼土・炭化物を多く含むため、窯跡に伴う堆積物であることは明らかですが、上半部には現代の遺物が含まれていました。一方、下半部は現代遺物こそみられないものの、上記の灰原特有の層序が認められないため、灰原形成後の2次的な堆積物かもしれません。トレンチの南半部では丘陵斜面が不定形に掘り窪められ、そこに大量の赤色粘土・粘質土が堆積していました。この粘土と粘質土はほぼ純粋な焼土ですが、遺構の全体形状が不明なうえ遺物も出土しなかったため、堆積の時期や経緯は判然としません。この他、トレンチ近くの南向き斜面で大平窯跡の窯体と思われる窪地が確認され、遺物の散布状況から2~3基の窖窯が存在する可能性があります。

 大平窯跡に伴う出土遺物は、古瀬戸製品・尾張型山茶碗・窯道具(匣鉢)があります。最も多く出土した古瀬戸製品は、古瀬戸後Ⅰ・Ⅱ期(14世紀中葉~15世紀前葉)の天目茶碗・平碗・縁釉小皿・卸皿・折縁小皿・折縁中皿・折縁深皿・直縁大皿・小鉢・碗形鉢・柄付片口・四耳壺・祖母懐茶壺・花瓶・合子・内耳鍋・筒形容器・燭台等があります。これらは、日常容器を中心に器種構成が多様化する古瀬戸後期様式の特徴をよく反映しており、平碗や縁釉小皿をはじめとする碗・皿類の比率が全体の6割近く、鉢・盤類と壺・瓶類は各々2割前後を占めています。無釉の尾張型山茶碗は碗・小皿・片口鉢・陶丸があり、これらも14世紀中葉から15世紀前葉に属するものです。


大平窯跡 法面の遺構検出状況


大平窯跡 出土した小皿と陶丸


大平窯跡 3トレンチの丘陵斜面検出状況