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発掘調査

白坂雲興寺遺跡の発掘調査

 瀬戸市白坂町にある白坂雲興寺遺跡での調査は、雲興寺から西へ約250mの地点に計画された道路整備事業予定地を対象とし、平成29年12月13日から平成30年1月15日にかけて実施しました。南北方向に延びる約130㎡の調査区は、戦後の畑地整備に伴う大掛かりな造成による攪乱が見られ、遺構・遺物への影響が非常に大きく、調査区の南半区では、重機による掘削が深くまで及んでおり、整備前の地形を復元するにも困難な状況でした。

 調査の成果として、調査区の中央付近では、攪乱の影響が比較的少なく、標高214m付近に展開する中近世の遺構形成面(基盤層)からは2基の土坑(SK01・02)を検出することができました。2基の土坑のうち、SK01からは、縁釉小皿(3個体)、内耳鍋(2個体)、擂鉢(4個体)が出土しました。これらは、それぞれの形態的特徴から古瀬戸後Ⅳ期新段階を中心とする時期の一括資料となりました。また、この土坑の床面には、河原石を据えた状態で検出することができました。なお、土坑の周辺からは、複数のピットを検出しましたが規則的な配置は認められませんでした。

 調査区の北半区では、自然流路の右岸側の一部と石組遺構を検出し、本調査における大半の遺物は、この流路内から出土しました。遺物は、古瀬戸後期後半を中心として大窯前半期頃までの器種組成で、概ね15世紀代から16世紀前半までに帰属します。また、13世紀から14世紀代までの常滑窯製品、猿投窯製品、中国の輸入陶磁などもあります。石組遺構は、その性格を特定できない遺構「SX01」としましたが、自然流路から出土した遺物の示す時期の遺構と仮定するならば、水場に構築した取水目的の施設と考えることも可能です。

 今回の調査地点は、遺跡の想定される広大な範囲でも中央よりやや西寄り、赤津川の右岸に面した標高213~214m付近にあり、遺跡の背後の丘陵までは50mほどの比較的近い距離にあります。検出した自然流路は、恐らく丘陵側に水源があり、北東から南東へ向けて流れ、主流である赤津川へと合流します。調査区の南側の地形は、赤津川と並走する県道へ向け大きく傾斜していますが、調査区西側には自然地形を残す平坦地が拡がり、中近世の遺構群の存在が期待できる地理的環境にあると考えられます。

 本遺跡内で、平成4年度に調査が行われた地点は、今回の調査地点から南東へ約100mの位置にあり、地理的環境の相違点は特に見受けられませんでした。平成4年度の調査結果では、縄文時代の土器や石器などの遺物を除くと、古瀬戸窯製品では概ね古瀬戸中期から後期末の遺物が出土しており、14世紀から15世紀代に帰属することが報告され、量的な解釈では15世紀代に多く認められる点が指摘されています。今回の調査結果は、2基の土坑(SK01・02)と石組遺構、そして自然流路の限られた遺構に留まるため、平成4年度の所見との比較は難しい部分もありますが、古瀬戸製品のみで解釈すれば、15世紀代に中心がある点は共通すると考えられます。また、隣接する雲興寺は、応永七年(1400)の創建と伝わることもあり、15世紀代には門前町としての集落形成の始まりと同じくして古瀬戸後期に生産された製品の消費につながったと推察することも可能でしょう。


白坂雲興寺遺跡 全景(上空から)


白坂雲興寺遺跡 石組遺構(SX01)


白坂雲興寺遺跡 土坑(SK01)