発掘調査
折戸(O)‐G‐17号窯跡の発掘調査
折戸(O)‐G‐17号窯跡は、愛知県日進市藤塚二丁目に所在し、日進市の南西部に位置します。本窯跡から南へ250mほどのところを名古屋鉄道豊田線が走り、その最寄り駅である日進駅までは東に約1㎞の至近距離にあり、宅地化が進んでいる区域ではありますが、日進駅から本窯までかなりの上り坂となっているので、この一帯が丘陵地であったことが分かります。
本窯の範囲内で宅地造成計画があがったことから、遺跡の残存状況を確認する調査を行ったところ、陶器が集中する箇所(遺物溜り)があったため、この部分を対象として、発掘調査を行いました。その結果、わずか15㎡の調査面積にもかかわらず、60箱もの陶器が出土しました。このようなまとまった遺物の出土状況は、窯跡では灰原(窯焼きの時の燃えカス、失敗品、窯道具などの捨て場)にみられますが、遺物溜りは狭い範囲に過ぎず、燃えカスがほとんど含まれていないことから、灰原の一部がここまで滑り落ち、その間に燃えカスが洗い流されたとみています。
出土した遺物は、山茶碗・小皿・片口鉢のセット(山茶碗類)と壺甕類に分けられます。このうち山茶碗類が全体の99.6%を占めています。山茶碗の形状から、本窯の操業は鎌倉時代前期(13世紀初頭)とみられます。壺甕類はわずかに0.4%しかありませんが、本窯の焼成品だとしたら、猿投窯では極めてまれな山茶碗類・壺甕類併焼の窯となります。しかも、壺甕類の形状や製作技法は、猿投窯よりむしろ常滑窯に近いものでした。その理由としては、次の4つが考えられます。
① 常滑窯の工人が本窯に来て作った。
② 常滑窯の工人が本窯に来て作り方を教えた。
③ 本窯の工人が常滑窯で作り方を学んできた。
④ 常滑窯で作られた製品が本窯に持ち込まれた。
本窯の壺甕類は、ほとんどに歪みがあり、原形をとどめないものも多くあります。熟練した常滑窯工人の製作ならば、このようなことにはならないので、①と④の可能性は低いと思われます。残る理由は②と③です。つまり、本窯の工人が常滑窯の技術を使って壺甕類の製作を試みたというのが、今のところの見解です。
今回の調査は、狭い調査区でありながら、多大な成果がありました。今後の猿投窯の中世窯業史研究において、重要な資料となるものと考えています。