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発掘調査

若宮遺跡(3‐85地点)の発掘調査

 若宮遺跡は瀬戸市南部の幡山区の中にあって、その東部にあたる若宮町3丁目から山口町・田中町にかけて、東西約700m、南北約500mの広大な範囲に広がる遺跡で、矢田川右岸の河岸段丘及び沖積地に立地しています。近年、本遺跡内では住宅建設などに伴って、平成24年度の若宮町3‐84地点を皮切りに、平成26年度には3‐130地点、平成28年度には3‐83地点など遺跡の東端部を中心に次々と本発掘調査が行われ、さらに遺跡中央部にあたる山口町304・305地点でも平成27年度に発掘調査が行われました。
 遺跡東端部の調査では古墳時代の土器が数多く出土していますが、中でも前期の土器群が集中して出土する傾向がみられ、さらに、3‐84地点では古墳時代の後期のものと考えられる小規模な建物の柱穴などが確認されたことから、同時代において周辺に集落が存在することが予想されていました。これに対して、山口町304・305地点では古墳時代の遺物とともに竪穴住居が3棟検出され、初めて同時代の人々が暮らした集落の一端が見つかっています。  さて、令和元年度には3‐84地点の西側、3‐130地点の北側に隣接する3-85地点で発掘調査が行われました。調査は宅地造成工事に伴うもので、宅地本体部分(1次調査区)と擁壁部分(2次調査区)の2回に分けて、計147㎡を対象としました。
調査では、上下2面でそれぞれ遺構が検出されました。上面では、焼土溜まりと土器溜まりが見つかっています。焼土溜まりは被熱して赤くなった土が集中して検出されたものですが、

カマド等の遺構は確認されていないことから、その性格については不明と言わざるを得ません。しかし、これらが検出された場所は、後で述べる下面の建物跡の範囲内にあたることから、何か建物跡に関係する性格を持つものかもしれません。土器溜まりで確認された土器群については、現段階では精査が完了していないため、具体的な年代の傾向は明らかになっていませんが、古墳時代中期を中心とした一群であることが予想されます。
 さて、この焼土溜まりや土器溜まりを包含する層序を除去すると、建物の柱穴と思われるピットがいくつか検出されました(下面遺構)。このピットの中には、それぞれ2.8mの等間隔で整然と並ぶものもあり、おそらく掘立柱建物を構成する柱穴と考えられます。この建物がどういった性格を持ったものであったかは明らかにできませんでしたが、その規模から考えて当時この辺りで生活を営んだ人の住居跡である可能性は充分にあります。もしそうであるならば、これまで集落の存在が明らかにできなかった本遺跡東端部において、初めてその一端が確認されたことになり、古墳時代における本遺跡の復元をするための貴重な成果を得ることができました。


1次調査区全景(北から)


1次調査区下面 掘立柱建物跡(北から)


1次調査区上面 土器溜まり検出状況(北から)


1次調査区上面 焼土溜まり検出状況(東から)