発掘調査

今村城跡の発掘調査

 今村城は、瀬戸市の中央を流れる瀬戸川の中流域左岸、旧今村に所在しています。今村という地名は寛正年間(1461~1466)に、もともと三河国碧南郡今村において城を構えていた松原氏が、現在の瀬戸市に写った際に改名されたと伝えられています。したがって本城は別名松原城とも称され、寛政年間以降、松原広長が居住しましたが、広長が文明14年(1482)に桑下城主である永井氏との戦乱で敗れた以降に廃城となりました。本城は平城で、明治年間の地籍図等から今村城の規模について述べられており、それによると東西90m、南北108m、四方を幅5mの堀で囲まれ、土塁の高さは6mの城構えであったとされています。また、本城跡の南東に接する八王子神社境内にはわずかながら水堀の跡が残されています。平成25年度に、個人住宅建設に伴い発掘調査を行いました。
 調査は、約20㎡と狭小な面積でしたが、結果的に溝状の落ち込みの一部を検出し、これが明治年間の地籍図に記されている堀の方向と一致することから、今村城の堀の一部であることが明らかになりました。建物跡など、居住域であったことを示す遺構は確認できませんでしたが、本調査地点より北側にあたる堀の内側には、そういった空間がまだ残されている可能性が十分に考えられます。

調査区全景

掘検出状況