発掘調査

勘介窯跡の発掘調査

 勘介窯跡は、瀬戸市の北部、落合町地内の丘陵地に所在していて、水野川右岸の標高175m前後の南斜面に立地しています。調査は急傾斜地崩壊対策工事における事前調査として実施し、2基の大窯の窯体の一部とこれに伴う灰原を発見しました。
 2基の窯体は丘陵の南斜面の中腹に構築されていました。この斜面は大きく崩落していましたが、1号窯の窯体の痕跡と2号窯の窯体の一部が残されていました。1号窯の窯体は全長4.3m、最大幅1.6mの範囲が赤く被熱していて、窯壁片や小分炎柱・焼台も見つかっています。2号窯は全長2.5m、最大幅1.3mの規模で焼成室上方の一部を確認しました。
 灰原はそれぞれの窯の斜面下方に拡がっていて、1号窯では窯体の右側に2号窯では窯体の左側に残存していて、谷底付近まで続いています。
勘介窯跡が所在する丘陵では窯跡の斜面上方に規模の大きな平坦面が拡がっており、付近には工房跡が残されている可能性もあります。また、窯体が確認された南斜面だけでなく東斜面でも遺物の散布が確認されたことから、窯跡はさらに広範囲に拡がる可能性もあります。
 遺物は、勘介1号窯の製品には丸碗・天目茶碗・端反皿・稜花皿・縁釉皿・腰折皿・丸皿・灯明皿・擂鉢・茶入・瓶子・花瓶・山茶碗など、窯道具には、匣鉢・挟み皿・トチ・焼台・小分炎柱がある。勘介2号窯の製品には丸碗・天目茶碗・平碗・稜花皿・端反皿・豆皿・丸皿・ソギ丸皿・稜皿・内禿皿・灯明皿・片口・擂鉢・筒形容器・筒形香炉・狛犬・鍋・土瓶・茶入・祖母懐茶壺・甕・桶など、窯道具には、匣鉢・挟み皿・トチ・焼台・小分炎柱があります。
 勘介1号窯の遺物は、16世紀初頭から前葉(大窯第1段階後半から第2段階前半)のものが主体を占め、2号窯の遺物には16世紀中葉(第2段階後半から第3段階前半)のものが多く認められることから、勘介窯跡は、16世紀初頭から中葉にかけて1号窯、2号窯の順に操業したものと考えられています。

4区北壁土層断面(南から)
1号窯痕跡検出状況(北から)

一次窯2室外壁検出状況(南から)
2号窯完掘状況(北から)

4区北壁土層断面(南から)
出土遺物(皿類)

4区北壁土層断面(南から)
出土遺物(狛犬)